Essay

「音の隙間」

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ジョン・ケージの話しではないです。
べん(@hacoven)です。
雑記です。
 
”音の隙間”みたいなことを近頃よく考えます。
視点を変えるといろんな隙間が見えてきます。
隙間に”無音”が”存在する"というパラドクス。
その無音にこそ宿る”何か"があるのではないかと…
 
何にせよDAWの画面とにらめっこしててもしゃーない。
 
 

例えば渋谷の喧騒

渋谷、嫌いです。
煩い。臭い。節操ない。
そんな街の喧騒も無数の音がレイヤーされているわけです。
絶え間なく鳴り続けてはいるけど、一瞬たりとも同じレイヤーは存在しない。
ほぼ全てが人工的な音であるにも関わらず、その音の波はまったくもって無作為であり偶然の並びです。
それらの喧騒を紡いでいる音同士の隙間、レイヤーの隙間に人間がいるのだなと。
ただし、もっと俯瞰してみれば渋谷の喧騒はいつでも同じように煩いしこの先も好きになることはないです。
 
 

例えば演劇

個人的な好みだけど音楽は必要最低限、って感じのお芝居が好きです。
劇そのものが”音楽的”である時、僕ら劇伴作家に求められるのは役者さんとの呼吸です。
お芝居と音楽との”間”に呼吸が生まれると思っています。
ここにも”音の隙間”が存在しています。
僕はいつも演出家に役者と同じようにお芝居の演出をされているんだと思っています。
このお芝居の”間”にお客さんは息を飲むわけです。
つまりその”間”が音楽なしで存在し得て、役者の呼吸に息を飲むのであれば曲数は限られたものになります。
 
ところで、小林賢太郎さんの間が大好物です。
 
 

例えばドリフ、吉本

ドリフが好きです。吉本新喜劇も好きです。
どちらも何回も繰り返し見ます。
定型のお笑いでオチまで分かってるけど見ちゃいます。
で、毎回笑います。
これってネタを楽しんでいるというよりはフリとオチの”隙間”を楽しんでいるんですよね。
”間”が快感なんです。クセになるってやつ。
ただの無音じゃなくて”隙間”です。
だから演奏にもよく似た構造です。
毎回至高の演奏に魅せられているんだと思います。
 
 
 
何年も前ですがダウンタウンのガキ使の2人トークはほぼ見尽くしました。
ラーメンズも片っ端から見ました。
幸いにもYouTubeにオフィシャルでアップされています。
なんて素敵な時代なんだ。
どれも理論書をウトウトしながら読むより100倍勉強になったと思います。
 
音の隙間に身を委ねてプカプカしる感じが至福の時なのです。

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