レビュー 創作

落語に学ぶ① 〜「映画 立川談志」を見た〜

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「音楽を音楽以外から学べ」
僕を拾ってくれた故鈴木健士プロデューサのお言葉です。
べん(@hacoven)です。

「花の一輪を生ける心の余裕を持て」とか
「四季を感じろ!日本人だろが。」なんてね。
今思い出せばいろんなことを教えてくれました。

「映画 立川談志」

立川談志師匠について語るなんてこと恐れ多くて出来る訳ありません。
ただ、芸の道を究めんとする方の”生き様の片鱗”が垣間見えた気にさせてくれる映画でした。
省みて音楽人として気を引き締め直したという話しを少し書いておきたくなりました。

映画の冒頭で談志師匠のこんな言葉が紹介されます。

「落語は人間の業を肯定する」(「あなたも落語家になれる 現代落語論 其の二」)
「客を笑わせるのは手段であって目的は別にある。」

落語とはつまり人間の業を描く事であると…

またこれに続いて柄本明さんのナレーションはこう続けます。

「この談志の言葉で古典落語は現代社会に通じる深淵な文学性と娯楽性を獲得した。」(ナレーション 柄本明さん)

音楽家の端くれの、さらに末端にいるような自分からしてもこれがいかに難しい事で、
どれほどの偉業か、分かる気がして少し怖くもなるし、憂鬱にもなります。

 

落語から何を学ぶか。

この映画から、立川談志から、何を学ぶかなんて考え出すと少し話しが壮大すぎるし
人生をかけての問いみたいになってしまう気がするのですこし角度を変えてみます。

いろんな芸人さんが、噺家さんが言う、「緊張と緩和」
これって音楽でもそのまま何の変換もせずに当てはまると思うのです。
メロディの緩急やグルーヴ。「間」をいかに作るか。
この空気を支配してコントロールする感覚は落語も漫才も音楽も共有出来るものだと思います。
そして人はこの「間」に恍れるのです。

こればっかりは数値化できる話しでもないし、(いや、もしかしたらAIはこれすらも学習するのかもしれませんが)
落語を何度も聴いて笑って泣いて、身体に染み込ませるしかないのですが、
それは絶対に自分の書く楽曲や演奏に滲み出てくるのだと思います。

落語を楽しむには集中力が必要

落語を楽しむにはかなりの集中力を要します。
ただただ受動的に垂れ流すように聴いていたのでは楽しめないのが落語。
だから一席聴き終わると疲れます。
音楽だって正面切って聴こうとするとかなりの体力を消耗しますよね。
クラシックのコンサートなんかは本当に疲れます。
マーラーなんてぐったりです。

落語や音楽を楽しむには、「今から1時間は落語の時間、音楽の時間」と
ちゃんと時間を設けて、他の心配事やら不安を心から一切排除して作品に向き合う事が必要だと思います。
そのためにはやっぱりそれなりの集中力が必要なんだと思います。

演じ手によって同じ演目でもまるで違う作品になる

それは何故かという問いにはまたかなりの深〜い問答になると思いますが…
落語も同じ演目で噺家が違えば全く楽しみ方が変わるし
音楽も演奏者が違えば違う曲に聴こえたりもしますよね。
クラシックで言えば指揮者が違うと全く解釈が変わります。
で、それぞれが楽しめるし、好みの差も出てくる。

この辺の意識が芽生えてくるとDTMerが打ち込みをする時にも活かされてくる気がします。
自分で書いた曲であったとしてもその曲に対する解釈は自分だけのものであって
人が変われば当然違う演奏をするはずなんです。
”打ち込み”っていうと=プログラミングみたいに聴こえるけど、
”演奏”と捉えて音を重ねていけばより音楽的だよね。
じゃあどういう解釈で演奏をしようかと。
書き手の解釈が絶対的に正しいという訳ではないことは長い音楽史でも明らかだと思うのですよ。

まとめ

今日はなんだか固めの内容になったな。
語ろうと思うとどんどん深みに嵌っていくし、
脱線して枝葉が分かれて着地を失いそうになる。
談志師匠が言うところのイリュージョンですかね…
(いや、違うか…)

何にせよ音楽的なインプットを音楽以外に求めるのは
とても理にかなっているし咀嚼が必要な分、より身になるような気がします。

ってな訳で、皆で落語を聴こう!!
でした。

落語ネタは少しシリーズにしてまた書こうと思います!

 

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ばいばい

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